NHK海外ドラマ「レ・ミゼラブル」トーク

国夫

 

第1回
(2002年1月7日NHKBS2/2004年1月1日NHK教育テレビ放映)

第1回目だけ、一昨年に見た時の感想に手を加えました。

第1回だけ見た印象としては、ていねいに作っているなあということ。原作に忠実なところとちょっと手を加えたところとあるけれど、違和感はないのでいいかなという感じ。

村井さんの吹き替えはとてもよいと思います。村井さんのお声はクセがないので俳優に自然に溶け込んでいる感じで、それでいてちゃんと「村井国夫だ」とわかるのでさすがだと思います。ドパルデューにも合っています。すさんでいた頃もジェントルメンになってからも、タイプが違うにも関わらずバルジャンだと感じさせます。わざとらしくないところがいいです。バルジャンの若い頃はギョーム・ドパルデュー。ジェラール・ドパルデューの息子です。モンテ・クリスト伯でも若い頃をやっていたから、このシリーズではおなじみ?

津嘉山さんはかっこいいし静かだし渋いけれどちょっと落ち着き過ぎ・・・?こういうキャラってことなんでしょうけれど。マルコビッチはとことんクールに演じていますが、「危険な関係」が好きだったあずなとしてはかなり老けたなというのが正直な印象。ヴァルモンをやっていた頃にジャベールをやったらどうだったかな。でも、手つきやちょっとした目の動き、立っている雰囲気がとても魅力的で目が離せないところがおいしいと思います。ストイックだからこその色気にくらくら。一昨年も思ったけど、やっぱりマルコビッチって鹿賀さんと似てますね〜。

ドラマの方ですが、しょっぱなからツーロンの監獄で火事があり、バルジャンが他の囚人を助けて、それがのちのちジャベールがマドレーヌ市長を疑う伏線になったり、アラスでバルジャンが自分がバルジャンであることを証明するための伏線になったり(囚人の火傷のあととか)、面白いなと思いました。確か原作では、バルジャンが火事から助けた男に身元を保証してもらって真っ当な生活を始めたので、うまく使ったなと思いました。

ジャベールは、ミュージカル版みたいにツーロンの監獄にお務め。刑期が終わる前に死んだ囚人の服をバルジャンにあてがっていました。バルジャンでなくてもやさぐれそう。司教さまのところに行く前に、できればあちこちで黄色い通行証(仮出獄証とは言ってなかった。フランス語は"PERMIS DE SORTIF"だから出獄許可証という感じかな)を見せて、門前払いとかされて欲しかったな。

ファンティーヌが男に騙される話までよく描いたなと思いました。おかげでファンティーヌのキャラクターに厚みができたと思いますが、ゲンズブールって独特のカルトさがあるのでファンティーヌ向きかどうかちょっとよくわかりません。

テナ夫妻が仲の良い性悪夫婦を演じていて面白い。テナをミュージカル版伝説のアンジョルラス・内田直哉(あずなは初演で見ています)が吹き替えというのは…誰か推薦したのかな。テナが店の看板背負って歩いているのが面白い。昔はこうやって店の宣伝をしていたのですね。

マドレーヌの工場はガラス玉工場でなくて紡績工場。バルジャンはもともと木の手入れをする仕事をしていたので、イラクサで布を折ることを思いつくのは自然かもしれません。フォーシュルバンも悪者になってますが、それでも馬車の下敷きになったところをバルジャンが助けて改心するので、よりドラマチックになっている気がします。

ジャベールがファンティーヌの最初の客引きを見逃すのは、今までのジャベール像と違います。歯医者のことをファンティーヌに教えたのもジャベールだし。ミュージカルとキャラクター違いますね。警察内でも友人がいるみたいだし。

歯医者でファンティーヌが10本歯を抜いてくれと頼んで、一度は彼女の腕を縛った歯医者が縄を解くところは、原作を思いだして泣きそうになりました(T_T)。髪を切ったファンティーヌを見てバマタボワが、「病気か、シラミでもいるのか」といやがるのも興味深いです。当時は女性が長髪でないとまともな女に見られないんですね。う〜む。

モントルイユに行くジャベールがモンフェルメイユのテナの宿で偶然コゼットに会っているのも面白い。ファンティーヌの子供とは知らないわけでしょう。12才だから働かせていいんだとテナ夫人は言いますが、コゼットを預かって6年、最初やって来たばかりのコゼットは3つくらいではないかしら。10才そこそこにしか見えないけどな〜。

アラスの裁判所にあっという間についてしまったのはちょっと物足りない。アラスに行く前に悩んでいたバルジャンのシーンは好きです。囚人番号が出てこないのはちょっと残念。胸をはだけて焼き印を見せてくれるかと期待してしまいました(^_^;;)。

ドラマとしてはよくできてると思います。ジャベールのコート姿はステキですね。あとでハゲてしまうと噂の髪も、この頃はふさふさしてるし(^_^)。ただ、エピソードを盛り込んでいる分、どうしても時間の都合で余韻が少なく淡々と描いていますね。余韻まで感じさせるような作りにしたら、きっと倍の時間かかっても終わらないかもしれませんが。

 

追記1
マドレーヌ市長と親しい若いシスター・サンプリス、フォーシュルバンと話している時「私も過ちも犯す」ということを言っていましたが、思わせぶりですね〜(^_^;)

プティ・ジェルベがバルジャンにお金をとられますが、カゴの中に茶色の動物を入れて首から下げていました。あの動物って、何?犬にも猫にもタヌキにも見えない。何のために首から下げているの?食料(^_^;)?売りに行くの?買ってきたところ?いや、ペットかな。煙突掃除の少年の心の友。
考えていて、猿のような気がしてきました。赤毛の猿がペットなんだわ、きっと。

警察の資料館でバルジャンのことを調べるジャベールがステキです。窃盗犯の常習者は死刑にしてもいいと言うジャベールが、容赦なくてステキ。ジャベールはこうでなくちゃ。

ファンティーヌが病院で治療を受けますよね。2000年11月に東宝でレミのワークショップがあり、参加者と観覧者を募集していたのであずなは観覧を希望して当たりました。そこでいろいろレミ当時のフランスのお話もうかがいましたが、1800年代中ごろのフランスはまだ抗生物質というものがなかったので、病気になっても有効な治療法がなくて、結局ただ寝かされているだけのようなものだったそうです。娼婦が病気になっても、実際は何も打つ手がなかったので死ぬばかりだったようです。抗生物質の発明でどれだけの人の命が救われたかということですね。(04.1.25)

第2回
(2002年1月8日NHKBS2/2004年1月2日NHK教育放映)


初めてこの回を見た一昨年、友人たちから「マルコビッチがハゲた、ハゲたとメールがたくさん来ました。第1回のロン毛のジャベールが気に入っていたので、なんだかショックで感想を書く手が止まってしまいました(T_T)

病院にいるファンティーヌ、ジャベールの「娘とは二度と会えまい」という言葉にショックを受けて死んでしまいます。ここはジャベールファンとしても「ジャベール、ひでえ〜」と思うところです。原作をなぞりましたね。ファンテ、本当にかわいそうです。

ところでこのレミドラマ、登場人物がとても意味深な台詞をポロポロ言うので、書き留めているときりがないです。病院から逃げるバルジャン、川の中を上流に向かって逃げて行きますが、ジャベールの「あいつは川の流れに逆らって逃げるはず。流れに逆らい、秩序に逆らい、自分の利益に逆らう」(ビデオを見返さないでメモを元に書いているので、若干台詞が違います)がいかにもジャベールらしいバルジャンのとらえ方ですね。「私でなければ(やつを)捕らえられまい」・・・か〜っ!自分だけがバルジャンをわかっているという自負とこだわりが、津嘉山さんのクールな声で語られるともうダメですって。

サンプリスの「市長を尊敬しています」「涙はイエス様のためだけに流すもの」が切ないです。フォーシュルバンに「私も過ちを犯す」と言った意味がわかりました。マドレーヌ市長を愛してしまったのが彼女の過ちだったのですね。原作より作ってあるエピソードですが、バルジャンの暖かい人柄を思わせる話なのでとてもよいと思います。

一方、テナ宿のエポニーヌ、親のテナたちがコゼットを虐めるので一緒になってむごいことを言います。ファンテが送金をしてこないので「コゼットの歯を抜いたらよい」と。妹のアゼルマまで「私も抜きたい」というようなことを言います。けっこう心が寒くなるシーンです。コゼットと出会ったバルジャンが、水汲みを手伝い、人形を与えてベッドで休ませることで本当にほっとします。テナ宿を出たあとコゼットの洋服を買うため立ち寄った店が、ファンテの歯を抜いた歯医者・スカルポンニ(面白い名前ですね)の店というのがいかにも皮肉。犯罪者のバルジャンを一晩かくまったことと、少女売買(コゼットを売った)の罪でジャベールに捕まるテナも小気味よい。そう、ジャベールはバルジャンと敵対してはいても、正義の人。テナだって逮捕してしまうんです。

パリにやってきたバルジャン、ガブローシュと出会います。馬車?の中で寝泊まりしているガブ(ここって、乗り合い馬車の廃車置き場かな?)、ネズミが多くて飼っていたネコがネズミにやられたそう。恐怖、ネコを倒すネズミ!原作では確か、バスティーユ広場にあるゾウのハリボテの中に住んでいたはず。装置が面倒で馬車に変えたのかな?

そのあとゴルボー屋敷で生活を始めるバルジャン。警察に追われて屋敷を脱出して修道院に逃げ込み、庭番のフォーシュルバンの弟としてコゼットともども修道院にお世話になります。このへんの時間の流れ方がちょっと私には分かりにくくて、マリウスがゴルボー屋敷に部屋を借りに来た時は、管理人はバルジャンについて「6年ほどいたかしら」と言います。でも、ガブは成長していないんですよね。何故??そして修道院に入ってからさらに数年たっているみたいです。コゼットは修道院に入ったばかりの頃は子供でしたが、輝くばかりの美少女になっています。

不思議なのは、成長したコゼットが院長に「シスターになるかどうか考えてほしい」と言われた時にはジャベールは長髪なのに、その直後学生たちに混じって学校に潜入しているジャベールは見事にハゲています。6年かけてハゲるならわかりますがそんなに時間がたっていると思えないのに不思議。もともとカツラだったのか、上司に「窃盗犯より思想犯を取り締まれ」と言われて学校に潜入したのがハゲるほどイヤだったのでしょうか(T_T)学生たちにも「古参の学生で有名なじいさん」と言われています。ちょっと待て。「おじさん」ならわかるけどいきなり「じいさん」ですかい!!ああ!それに比べて、バルジャンはフサフサじゃん。髪よ・・・いや、神よ(T_T)

院長はジャンヌ・モローなので、なんだかこのドラマの中では目立つ扱いになっています。警視総監に食って掛かったバルジャンをかばった院長が、自ら懲罰を受けるシーンはシスターにモテモテのバルジャンを証明していますが、院長がアップになるとちょっと悲しかったりする。「死刑台のエレベーター」から何年たつのかな〜。(あの映画の幻想的で悲しいラストは好きだった。)院長の懲罰用のムチはトゲのついたやつでしょうか。「ベルセルク」でファルネーゼが背中を打っていたのと同じかな?

公園でマリウスと出会うコゼット。マリウス、何故にラテン系?濃い。濃すぎる。ハンカチは原作ではバルジャンが落としましたが、こちらはコゼットがわざと落としました。最初からラブラブな二人。ハンカチの「U」のイニシャルに「ウルスラ」という名前だと思い込むマリウス。(ウルスラっていうのも面白い名前ですね。)コゼットの本名は「ユーフラジー」で、ファンティーヌが愛称として「コゼット」という名前を作り出したというエピソードが原作にありました。でもこのドラマの中では「ユーフラジー」の話は出てきていなかったはず。「U」のイニシャルは「ユーフラジー」だと思うのですが、真実はいかに?

町中を囚人が護送されるのを見て、コゼットの「この人たち、人の形をしているけど中身は獣」と言います。バルジャンの胸にも視聴者の胸にも突き刺さる言葉です。

投獄されたテナが長髪になって戻ってきます。ハゲる人もいれば・・・いろいろだなあ(^_^;;)

 

追記2

原作を読んでも感じるけれど、この時代のフランスは刑罰がとても重い。パンを盗んで何年も牢獄に入るのはかなりなものだと思います(脱獄で刑が重くなったとしても)。マドレーヌ市長も貧困が人をたくさん殺すと言っていて、貧しい市民が犯罪に手を染めるのを防ぐには法律で取り締まるしかなかったんでしょう。でも冬を越せない市民がたくさんいるというのはとても厳しい。法に触れることをすることにもなるでしょう。

そうして捕まって出獄しても黄色の通行証を持たされれば、前科者とばれてしまうからまともな扱いはしてもらえない。ジャベールも言っていました。どうせまたここ(監獄)に戻ってくると。一度道を外れると容易には真っ当な生活に戻れないんですね。テナルディエもパリでバルジャンと再会して「あいつのせいで俺の人生がめちゃくちゃになった」と言っていましたが、テナもバルジャンを自分の宿に泊めたためにかくまったとして投獄されているから(人身売買もあったけど)、落ちた人間の辛さを身にしみてわかっていてバルジャンを憎むのですね。

シスター・サンプリスも言っていました。真実より慈悲の方が大事だと。罪人には黄色い通行証より、信頼の方が大事。バルジャンがミリエル司教から銀の燭台を渡されたことは、バルジャンにとって、この時代の人にとって、今の私達が考えるよりもはるかにずっと重い出来事だったのでしょう。レミの根源的なテーマって、銀の燭台だったんだとあらためて気づかされました(今頃遅い?)。

コゼットを引き取った時にバルジャンがコゼットに言った「これからは私がいる」はコゼットにとっては銀の燭台だったかもしれない。自分を信じてくれる人、自分が信じることができる人がそばにいることの幸せ。コゼットをバルジャンが引き取るところは、原作、ミュージカルを含めて私がすごく好きなシーンの一つです。(04.1.25)

第3回
(2002年1月9日NHKBS2/2004年1月3日NHK教育放映)


パトロンミネット、原作のキャラの誰がどの人かとかわかりませんでした。あまりそこまで力を入れてない感じ。残念。

ゴルボー屋敷では、バルジャンを捕らえるためテナが陰謀をめぐらせます。マリウスがジャベールにそのことを伝えに行くと、ジャベールはマリウスに協力を要請しますが、その時ジャベールが自分のことを語るのが興味深い。「子供の頃には狩に連れて行ってもらったりしたが、父は騙されて馬や土地を取られてしまった」ジャベールって徒刑囚の息子だったはずなのに、ここでは没落貴族になってますね。バルジャンに対する憎しみは、同類嫌悪ではなく罪を犯したり堕落した人間を心底さげすんでいるという感じでしょうか。

テナの台詞がすごい。「悪党でも飢えるし凍えるし病気の子がいる。悪党になるのは貧しいからだ。神なんてすがったってダメだ」こういう台詞を聞くと、本当の意味で貧しさを知らないドラマのジャベールには、貧しさから犯罪を犯す人々の気持ちはわからないと思いました。ちなみに、戦死者から物を盗ると銃殺刑だそうです。テナはそれでもワーテルローで兵隊の死体から物品をくすねていたので、テナに関してはもともと悪党だったような気がするんですけど・・・。コゼットを引き取りたいと申し出たバルジャンを、宿屋の中で殺そうとしていたし。そんなテナと、バルジャンを捕らえるためとはいえ、取り引きをするジャベールってちょっと待てよ〜と思いました(^_^;;)

マリウスとプリュメ街の屋敷の庭で会うコゼット。別れ際、次はいつ会える?とマリウスに聞くと「今度」「今度っていつ?」「あなたが決めて」「じゃ、明日」・・・ケータイもメールも普通の電話もない時代のデートの約束って、なんだかいいよね〜(^_^)エポニーヌに手紙を預けるコゼット、「人を好きになったことある?ならあなたは裏切らない」。コゼットはエポがマリウスを好きなことを知らないんですよね。なんて残酷。エポがマリウスをコゼットの家に案内するのに、マリウスに一晩一緒に過ごすことを要求した時には「それはちょっと」と思いましたが、やっぱりエポってかわいそうですよね。

一方きれいになったコゼットを意識するバルジャン、「監獄にいたことは恥ではなく怒りだ。飢えた子の為にパンを盗んだのは誇りたいが、コゼットの前では恥ずかしい」心なしか、原作や舞台に比べてドラマのバルジャンは非常に人間的。「コゼットの前では恥ずかしい」のですね。完全に父とは言い切れない感情がなんとも微妙で切ない感じ・・・。

学生たちを取り調べのために連行するジャベールはマリウスが恋に忙しいと言うのを聞いて「恋愛、結構だ。ナポレオン戦争でフランスは人口が減った。祖国に男子を供給するために結婚は奨励されるべきだ」とマリウスを祝福します。「人口を増やすために祝福する」って言われてもねえ(^_^;;)ジャベールってとことん情が薄いのが魅力ってことですよね。

ガブはテナの脱獄を手伝う代わりに、エポにママのキスをしてくれと言います。「小さい頃からしてもらっていない」原作ではエポとガブは姉弟ですが、ここでは違うようで。当時はガブのような浮浪児がパリには多かったのだそうですね。

ブリュメ街の屋敷を襲おうとするパトロン・ミネット。エポの「大声をあげると人が寄ってくる」って、舞台の「悲鳴をあげるよ」と同じですよね。う〜、ツボ。しかし「スズメの喧嘩を見たからさい先が悪い」「黒猫が左側にいた」「女に邪魔されるのは縁起が悪い」などと、彼らは襲撃をやめてしまいます。犯罪者って、けっこう縁起かつぎなのね(^_^;;)

マリウスとコゼットがラブラブなのがとうとうバルジャンにバレます。コゼットが「もう20才よ」と言います。原作では16才くらいでしたね。コゼットを引き取ってから10年くらいたっているということは、ゴルボー屋敷に6年いたんだから修道院には4年くらいいたのかな。

マリウスはゴルボー屋敷の一件からアンジョルラスと暮らしています。原作ではクールフェラックと一緒でした。しかしこのアンジョ、あんまり革命家のリーダーっぽくないというか、印象薄いですね。ドイツ人っぽい感じがします。

バリケードではジャベールがスパイであることをあまり隠している様子がないのが面白い。スパイとバレてもしばらく放っとかれていたりして。でも、ちゃんと丸い名札が出てきた時は嬉しかった(^_^)。焼き物みたいでふちがガラスっぽく見えました。村井さんが2001年のレミで使われていた名札を思い出します。村井さんのこだわり、さすが!

マリウス、バリケードの上で火薬入りの樽を持ってすごみます。原作通りです。「死んでもいいさ〜コゼットは旅に出る」ってな感じ?エポが撃たれて死ぬまぎわ、マリウスに言います。「私、何を望んでいたのかしら。あなたの幸せ、それとも不幸?」このドラマのエポはかなり性悪な感じですけれど、マリウスへの恋は切ない〜(>_<)。マリウス、コゼットがまだ旅に出ていないとわかって、エポの前で嬉しそうな顔するなよ〜。エポの遺言通り、死んだエポにキスするマリウス。私はできれば額にキスしてくれた方が、よかった気がする。

ガブも撃たれて死にます。ガブの歌っていた歌は、確か原作にもありました。子供が撃たれるのはやっぱり見ていてつらい。

しかし、いくらコゼットがまだいるとわかったからって、仲間をおいてホイホイ帰ろうとするマリウスって、なに??さっきまでは失恋の痛手から戦いに参加して死ぬ覚悟だったのに、手のひら返したみたい。やっぱりラテン系か〜(^_^;;)それにひきかえ、死を覚悟したアンジョの「君は命と愛を守れ。せめて一人は幸せになってもいい。それが君なら僕は嬉しい」とマリウスを抱きしめるところで、涙が出ました。そして、やっぱりグランテールはいませんでした。アンジョと一緒に死ぬところは、辛いけれど見てみたかった。(04.1.26)

第4回
(2002年1月10日NHKBS2/2004年1月4日NHK教育放映)


バリケードでバルジャンと縛られたジャベールが対峙するところから始まる最終回。ジャベールの台詞「たった1発の弾を私に使わず誰に使う気だ」がひたすらクール。銃からナイフに持ちかえるバルジャン。「やるのはナイフか〜」う〜、ツボ。逃がされるジャベールもやっぱりクール。マルコビッチ&津嘉山ジャベールはひたすらクール。

フォーシュルバンがバリケードでアンジョに撃たれて死にます。修道院をやめて行く時よぎった不安が適中しました。原作でいうとマブーフ老人とちょっと重なるかな。フォーシュルバンがここで死ぬためのキャラだったなんて、むごくて胸がつまりそうです・・・。かといってアンジョを責めるわけにもいかない。戦いの悲惨さってこういうことなんですよね。

マリウスが砲撃の破片でやられてからあとのバリケードの様子は出てきません。全滅するところもレミには必要だと思うんですが、時間の都合かな?アンジョはカフェの2階で銃殺されたのかしら。気になる。

マリウスをかつぐドパルデュー・バルジャン、かなりガタイいいです。ジャン・ギャバンもハマリだと思いましたが、ドパルデューの体型ってかなりバルジャンな感じ。「マリウスを助けないとコゼットの前に二度と出られないから」やっぱり原作や舞台よりもかなり人間くさいですね。コゼット溺愛。下水道の様子もかなりリアル。下水道出口で話し掛けてくるテナ、「これから相棒になるのにつれない」ですと。バルジャンを憎んでいても、利害が一致するなら簡単に手を組むのね。でも、利用しているだけで「仲間」ってわけではないのですね。

バルジャンが川に出ると思って張っていたジャベール。フランス語がお分かりの方ならジャベールの態度の変化にあれ?と思うはず。フランス語では「あなた」という言葉が2種類あって、敬って言う場合は「Vous」(ヴー・あなた)、くだけていたり敬う必要のない相手には「Tu」(チュ・お前)を使います。ジャベールはバルジャンには当然のことながら今まで「Tu」を使っていました。下水道から出たバルジャンにも「(お前は)下水道から出てきたのか」、マリウスを家まで送りたいと言うバルジャンに「Qu'est-ce que il est donc pour toi, ce jeune homme?」(その若い男はいったいお前のなんなんだ?・・・『toi』の部分がTuの変化した形)と言っています。ところが、コゼットに会いに行くバルジャンに「Je vous attends ici.」(私はあなたをここで待っている)とジャベールは言っています。ビデオを見ていてフランス語モードでマルコビッチの台詞を聞いてみて、「きゃ〜(^O^)!」と思いました。バルジャンの一連の行動を見ているうち、自然と「Vous」になっているんですね。原作でもプリュメ街までバルジャンと一緒に馬車に乗っている時ジャベールは言います。「あなたには驚かされる」と。フランス語だと、ジャベールの心の中で何かが動き出しているのが自然にわかりますね。

ついでに言うと、舞台のレミは下水道で出会ったバルジャンをジャベールが逃がす時、「待つぞ、さあ24653」と言います。原作やこのドラマに比べて舞台のジャベールは、バルジャンのことをあえて囚人番号で呼ぶことで、かえって自分を追い詰めてしまったような気がします。バルジャンを元囚人だと思いたいのに、バルジャンの行動と眼差しにうちまかされるジャベール。勝負ありという感じでドラマティックです。

コゼットをマリウスに託す決意をするバルジャン。「マリウスなら信頼できそうだ。私にはコゼットに由緒ある名前を与えることはできない」「お前(コゼット)がいたから私のような日陰の人間でも満ちたりていられた」原作や舞台よりもコゼットに執着が強い分、バルジャンのこの決断にはぐっときます。

コゼットに会うのを許したジャベールにも慈悲の心があったのだと思います。昔のジャベールなら許さなかったでしょう。警察署で取調べ中の男に理解を示すジャベール。「強盗を取り逃がしたのが罪か、逮捕したのが罪なのか」と悩みます。入水の前にうつむいてじっとしているジャベールに苦悩の空気が。後ろ手に組んだ手には手錠がかけられ、静かに雪の降るセーヌ川の中に入って行く・・・本当に静かな自殺でした。犯罪者を見過ごした自分の罪を許せなかったということなのかな。ジャベールにも慈悲の心があったのだから、自殺以外の道もあったのだと思いたい。罪とか罰ということよりも、本当に人を理解するということがわかりかけていたジャベールだったのに、とても残念です。

ジルノルマン氏のマリウスへの愛情も、原作を読んでいてとても好きでした。マリウスがバルジャンの「父としてでなくコゼットを愛している」に嫉妬してバルジャンに冷たい態度を取るようになっても(原作では徒刑囚であることでさげすんでいたと思いましたが…)、ジルノルマン氏はバルジャンの健康までよく気をつけていてくれたのが嬉しかった。それにしても、やっぱりバルジャンを嫌うマリウスを見ていると腹立たしい。バリケードの仲間を見捨てたくせに、と思ってしまいます(^_^;;)

マリウスに自分の過去を告げるバルジャン、「自分のことを自分しか知らない重さ。私の過去を知っているジャベールはもういない」ジャベールはバルジャンのことを本当に理解してはいなかったけれど、それでも「過ちを犯した自分」を知っている人間であることが、バルジャンにとっては苦しみと同時に自分をいましめる大事な存在だったのですね。ちなみに、バルジャンがマリウスに告白する囚人番号は「24601」ではなく「9430」でした。バルジャンはパンを盗んだ時とマドレーヌ市長になってからと2回投獄されているので、9430の方は2度目の投獄の時の新しい囚人番号です。

テナがマリウスとコゼットの結婚式の様子を見て、「あいつ(バルジャン)は光の中に飛んで行く蛾だ」と言うのが興味深い。他人の幸せが許せないタイプね。自分のみじめさをいやでも思い知らされて辛いのかもしれません。マリウスのところへバルジャンの過去をばらしに行くテナ、眼鏡とかかけてちょっとインテリ大使を気取っています。テナ役の役者さん、ナポレオンのドラマで主役をやっていました。わりと存在感あっていいかも。

死にかけているバルジャンの元に駆け付けるコゼットとマリウス。マリウスがバルジャンに嫉妬していたことを告白すると、「パパの過去がどんなでもパパを愛する妨げにはならない」と言うコゼット。すごくよい子〜(>_<)しかし、コゼットの泣き顔が笑顔に見えるのはちょっと待ってという感じ(^_^;;)

バルジャンの最期は光に満ちあふれて静かで尊い感じがしました。

「光が・・・光だけが見える。神々しい・・・」

暗い川底に沈んで行ったジャベールと対照的。でもいきなり終わるのがもったいない。せっかくここまでやったのなら、最後のお墓のところまでやってほしかった。静かでたまらなく寂しいお墓のシーンが目に浮かぶようです。でも、このドラマはいくつか見たレミの映像の中ではあずな的にはベストかも知れません。ドパルデューもマルコビッチもハマリだったし、映像もきめ細かくて重厚感があり、ジャベールがクールな分バルジャンがちょっと人間くさかったりして、全体としてとても味わいのある「人間ドラマ」になっていたと思います。やっぱりフランスの文豪の作品は、フランスで映像化するのがよいのかもしれません。

そして、とても深みと暖かみのある声の演技をして下さった村井さんがいらっしゃらなかったら、このドラマはこんなにもしっくりこなかったかもしれません。
村井さんバンザイ!!(04.1.27)

 


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